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吉字屋本店は創業永禄11年皆様の生活に欠くことのできないエネルギーをご提供して442年
株式会社吉字屋本店 会社概要 吉字屋本店とは

吉字屋本店の歴史

吉字屋の誕生

 
kichijiya.jpg  塩飢饉に苦しむ甲斐の武田信玄に好敵手上杉謙信が「塩を贈った」という戦国美談は、永禄10年(1567年)、武田太郎義信の自刃を因に、相模の 北条氏康が駿河の今川氏真と通謀して武田領国への「塩留」を断行した事に端を発します。山国の甲斐、武田領下にあった信濃の領民は、生活の必需品である塩の供給を得られず、塩飢饉で困窮した事は言うまでもありませんが、この窮状を見た越後の上杉謙信は、「戦いは 干戈を交えて行うもの」とし義侠をもって越後産の塩を送る事にした、と伝えられています。

 

 この際、武田信玄の命を受け越後産塩の取り引きに使いしたのが塩屋孫左衛門(初代)で、無事信州松本まで塩を持ち帰ってたのが永禄11年(1568年)正月11日、甲府に帰着したのが同14日であったとされています。この越後塩移入の努めを果たし、国内の塩飢饉を救った活躍に対し、信玄公より当時の甲斐の国の通貨「甲州金」の裏刻印である「吉」の字を屋号として贈られ、「吉字屋」が誕生しました。

 

取扱商品の変遷

 江戸中期、天保13年(1842年)になると吉字屋が灯油(菜種油)を取り扱っていた文書(幕府の物価引き下げ厳達に際し、甲府勤番に差し出した届出書)が残されています。また、嘉永7年(1854年)版の「甲府買物独案内」(今で言えばショッピングガイドブックにあたる)にも「塩屋・吉字屋孫左衛門」、「灯油・吉字屋孫左衛門」と記載されており、吉字屋で塩と共に菜種油や行灯油の油を扱っていたことがわかります。明治33年、それまで浅野タンク印の県下総代理店として扱っていた石油(化石燃料)の取り扱いを英国ライジングサン社との直接取引に形態を替え、日本で最古の石油販売特約店として本格的に石油製品の販売に取り組みを始めました。第二次世界大戦時には、戦略商品として石油製品は国家統制の下に流通が管理され、吉字屋では蝋燭や電球の取り扱いも記録されています。統制が解除された昭和23年、英国資本であるシェル石油(前身はライジングサン社)は日本での活動を復活し、吉字屋もこの動きに対応すべく体制整備に取り かかり、昭和24年に株式会社吉字屋本店を設立し、本格的な石油製品の取り組みを再開しました。昭和30年代から40年代にかけては、それまでの石油製品・食用油に加え、LPG(液化石油ガス)や、モータリゼーションの興りに合わせて車の関連商品を、また、昭和50年代から60年代にかけて興るライフスタイルの変化に対応し、損害保険・生命保険の取り扱いを開始しました。

 更に、昭和60年代後半になると、TES(トータル・エネルギー・システム)の導入・販売、未利用エネルギーとして大きな期待が寄せられている太陽光発電システムの導入・販売など、地球規模での関心と取り組みがなされ始めた省エネギー・環境対応をエネルギー供給者の立場で考え提案販売をすすめています。